上には上が、下には下がいることを何度自覚しても毎回忘れてしまう
こんばんは、はまぐりです。
最近ずっと落ち込んでいましたがようやく元気になってきました。
今回は何事も自分のペースを大切にしないとしんどいよ、という事について書こうと思います。
上には上がいる
当たり前なのですがこのことをきちんと受け止められる人も少ないのではないかと思っています。私自身も昔は上ばかり見て辛いことがありました。
どんなに頑張ってもさらにすごい人はいて、一生その人たちには勝てなくて、なんて辛いんだろう、これじゃ世界一の人以外地球はみんな不幸じゃないか、と子供の時はよく考えていました。
当たり前のことですが、勝ち負けを基準に人生の幸せを決めていると、いずれ限界が訪れます。オリンピック選手だって、金メダル以外は全員誰かに負けたことになります。みんな銀や銅でも悔し泣きをしていますよね。
それだけしんどいんです。世界で二番目に足が速くても、しんどい。
これでは、仕事や勉強でどんなに頑張ったところで、誰かと比べるだけの自己評価をしていてはしんどいだけです。
はまぐりは昔は闘争心が強く、どんな友達でも何か一つ負けているところがあるとそれだけで悔しいと感じていました。
しかし、勝ち負けを基準にしてしまうと、自分が相手に対して評価してしまうように、相手も自分に対して評価しているのではないかと考えてしまいます。
はまぐりの場合それがさらに負の連鎖を引き起こし、自分より能力の低い友人としか話せないレベルでした。自分より何か秀でていると一緒にいてしんどいからです。
今思うと、最悪なやつだったと思います。
下には下がいる
かといって自分より劣っていると思った友人も、それなりに幸せそうに暮らしていて腹が立ちます。自分はこいつよりこんなに色んなことができるのになんで何もできないこいつが自分より幸せそうにしてるんだ、とか、なんとも人格的にヤバいことばかり考えてしまうのです。
人の不幸をおかずに飯を食いたければ、いくらでも対象にできる人はいます。
上には上がいるように、下にはいくらでも下がいるのです。
しかしこれもまた負の連鎖を引き起こします、下ばかり見ていると自分の向上心が失われていきます。
さらに、単純に人を見下すことしかできない残念な人間になってしまいます。
自分で自分を評価するのは非常に難しいが、集団行動を避けると意外と簡単かも
人間がなぜ自分と他人を比べて自己評価を下げてしまうかって、理由は主に二つあると思います。
①周りも自分と似た者同士なので、わずかな差が際立ちどんぐりの背比べのようになりがち
②自分のやっていることに確証を持てなかったり自分自身が人生を楽しんでいないので、他者との比較で優劣をつけないと自分の価値が分からない
この2点について、①は結構簡単に解決できるかな、と思います。
友人の中でも、なるだけ自分の今の世界から離れたジャンルの人をチョイスして久々に会ってみるのです。
そうすると、価値観の違いにも気が付きますし、自分と全く違うフィールドでも楽しさを見出して幸せに生きることができるのだと分かります。
また、これだけ色々な人がいる地球上でわざわざ似た者同士で固まらなくても、自分は自分で好きなことを追求した方が精神的に楽だと思えるはずです。
②を解決するにはある程度の長い時間が必要と思います。
自分の人生をそもそも楽しめるようにならなくてはいけないので、自分が何をしている時が一番楽しいのかをしっかり見極める必要があります。
これは人生100年時代において非常に大事な力であると思うので、遅かれ早かれ誰でも直面する問いだと思います。
非常に難しいしめんどくさいので、考えたくない人もいるかもしれません。
しかし、自分が何をしたいのか、何が楽しいのかが本当に分かっていれば、他者からの評価は要らないことに気づくはずです。
自分のしていることが楽しいのに、他人からの評価やランク付けは意味を持たないものになります。
その点、幼い頃に影響を受けた物事は非常に大きな意味を持つので、自分の好きなことが分からない人は小さい頃自分が何をしたかったか振り返ってみるのも良いでしょう。
評価を気にしてもしかたないが動き続けたい
はまぐりの持論はこうです。
上には上がいるし下には下がいるけど、人類は常に進化しているし改良を繰り返しています。つまり集団全体を見たときに、よりより方向に向かって進もうとしているのは確かな訳です。
そうすると、何もせずに現状維持していると、周りと相対的に見たとき自分はむしろ後退していることになってしまいます。
私は常に前に進みたいと思っています。それは誰かに勝ちたいから、という気持ちもゼロではありませんが、現状維持するより動くことで新しい世界を知りたいからというのが一番大きな理由だと考えています。
休みたくなる時も多々ありますが、どんなに鈍くても進み続けていれば、全く進まない人よりは移動することができるのです。大事なのは速度ではなく、動こうとしたかどうかの意識の違いだと思います。